ところてんは江戸時代にはたくさんの人に食べてもらえたようです
その様子の絵を集めてみました
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こちら、その名の通りところてん売り
ただ、これ以外は何も記載がありません、、
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「西本願寺 荘厳の美 完全保存版(世界文化社刊)」の『津島天王社祭礼図屏風』より
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絵入りの江戸地誌『江戸名所図会』より
1834(天保5)年刊行巻之三 国立市谷保の谷保天神社の近くの「清水立場(たてば)」という休憩所
http://blog.livedoor.jp/chino17jidai/archives/51530615.html より
ところてん売り/(Seller of seaweed isinglass)
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これ、鬼が人間を突いてます^^;
《地獄図巻》より
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『新文字絵づくし』(明和3年〈1766〉刊)より
喜多川守貞…1810~?。江戸後期の風俗史家。著書の『守貞謾稿』は、江戸時代の風俗をまとめた大著。前集30巻、後集4巻。天保8年(1837)から書き始め、嘉永6年(1853)に成稿。
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當盛六花撰 紫陽花
歌川豊国(三代目)・歌川広重画 安政元年(1854) 国立国会図書館所蔵
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『絵本江戸爵(えどすずめ)』より 喜多川歌麿 画
↑ 江戸の年中行事や風俗を記した「東都歳事記」に「盛夏路上の図」
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右上のくずし字を翻字すると、
盛夏路上の図
行路夏衣 何ごとも 時ぞと思へ 夏きては にしきにまさる
あさのさ衣 貞徳
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となる。
歌意は、次の通り。何であれ旬というものがあると思いなさい、
夏が来たなら、錦織物よりも麻の衣を着る方がまさっているのである。
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真夏の江戸の街のにぎわいを伝える図版としてよく紹介されるが、
なるほど物売りの様子を細かく見ていくと面白い
▲目につくのはところてん屋で、
格子ごしに中が見える涼しげな荷箱での商売だ。
(https://blog.goo.ne.jp/kennynewman/e/356e51fe224435a672254d36786b99d3 より)
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「職人尽絵詞」
https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/04syokuninzukushiekotoba/08.html より
「和国諸職絵つくし」(貞享2年・1685年)四巻
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近世流行商人 狂哥絵図 曲亭馬琴
https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/11-kinseiryukosyonin/20.html より
http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2015/07/post-68fe.html
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職人尽歌合
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諸職人物画譜
水口宿との間、現在の湖南市夏見に藤棚を備えた「立場」があったが、ここの茶店が『ところてんに黒蜜をかけて食べる』方法の発祥の地とか。
http://pengzi.maruzen.com/bjmjfrngsutu/057.htm
https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/11-kinseiryukosyonin/20.html
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-15.html
ところてんの伊豆河童 株式会社栗原商店の代表取締役。
1869(明治2)年から続く、ところてんやあんみつの製造販売を行う会社の4代目。
当社の天草(てんぐさ)は、硬めの東伊豆産と柔らかめの西伊豆のブレンドした独特の商品。粘りとコシが強く、風味よくしっかりとした食感が特徴。
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